ハイチでのサイエントロジー・ボランティア・ミニスター:
28万4千人以上の人を援助する

2010年1月12日にハイチが地震に襲われてから、22ヵ国から300人を超えるボランティア・ミニスターが援助を与えるためにハイチに到着し、何千人ものハイチ人をボランティア・ミニスターとして訓練しました。
人々を助けられるように訓練する。
医療。
食料や水の配布。
ポルトープランスの病院で復興作業を行う。
ボランティア・ミニスターは、必需品や他の救援物資が届けられるように手配しました。これには、合衆国からハイチへ100トン以上の必需品を運んだ「ハイチへの救難船」も含まれます。
サイエントロジー・ボランティア・ミニスターの「ハイチへの救難船」。
2010年4月中旬、短い雨季の間に清掃活動を行う。
孤児の世話。

ハイチ地震の直後の週、サイエントロジー教会のボランティア・ミニスター隊が動員され、360人以上の救助と医療の専門家、およびボランティア・ミニスターがハイチへと安全に送り届けられました。食糧と医薬品の寄付が集められ、さまざまな物資が、国連との調整のもと、配布のためにハイチに持ち込まれました。十日以内に、ハイチでは百人以上のボランティア・ミニスターが活動をしていました。

災害がハイチを襲ってから2週間経った頃には、彼らはポルトープランスの総合病院、マイアミ大学のテント病院や市内の多くの仮設病院で安定した援助を提供する団体としての立場を築いていました。ひとつのボランティア・ミニスター・チームはハイチ援助機関の再建を助け、これまでに約百人の孤児を預かり、里子に出しています。

他のボランティア・ミニスターたちは、軍や援助団体と連携して、食品や医療品をハイチの西部地域で配布する準備をしています。それ以来、サイエントロジー・ボランティア・ミニスターは、南ハイチのジャクメルを含め、ポルトープランス以外の難民キャンプへと組織的支援を拡大しています。

2010年2月以来、ハイチのボランティア・ミニスター・ユニットは、ハイチ各地に8つの本拠地を設置しています。

一日を通じて、サイエントロジー・ボランティア・ミニスターは、負傷し、精神的な苦痛を抱えるハイチ人のケガや喪失に対処するために援助の手を差し伸べ、彼らに希望を与えています。彼らは、手術室で医療専門家を助け、赤ん坊を取り上げ、医療用品の支給と運搬を組織化し、患者に医療とケアを与えました。

この数ヵ月の間に、ボランティア・ミニスターは、診療所、学校、孤児院の再建を助けています。また、ボランティア・ミニスターの技術に関して多くの人々を訓練しながら、難民キャンプで必要な設備を建て、衛生を改善するためにも働いています。

概要(更新日:2010年5月8日)

2010年1月12日に災害がハイチを襲って以来、22ヵ国から300人以上のサイエントロジー・ボランティア・ミニスターが活動しています。その活動は以下の通りです。

  • 避難所、食糧、基本的な医療やその他のケアにより、孤児の数千人を含む28万4千人以上の人を援助。
  • トラックや救急車を含み、約12万キロの食品、医療品、その他の物資を調達し、提供。
  • ニューヨーク、ロサンゼルス、マイアミから360人以上の医療専門家、救急隊員、エンジニア、衛生の専門家をチャーター便で送るための資金を調達。
  • 援助の必要な地域の近くに、10のボランティア・ミニスター・キャンプを設置、人員を配置。
  • 280以上のハイチ人ボランティア・ミニスター・チームを訓練。

概要

サイエントロジー・ボランティア・ミニスター隊は災害救援や緊急時の対応を提供するサイエントロジー教会のプログラムです。サイエントロジーの創設者、L. ロンハバードによって30年以上前につくられ、世界中で20万人のボランティア・ミニスターが活動するまでに拡大しています。9/11後のグラウンド・ゼロ、東南アジアの津波、ハリケーン・カトリーナとハイチ地震を含む、185以上の最悪の状態にある災害現場で活動しています。

ボランティア・ミニスターは訓練を受け、赤十字、米国の連邦緊急時管理庁、米州兵、警察、消防署を含む500以上のさまざまな団体と協力し、NVOAD(全米災害活動ボランティア組織連合)の会員で活発に活動しています。ボランティア・ミニスター(VM)は「何か打つ手がある」をモットーに活動しています。

2001年には、800人以上のVMが、世界貿易センターの災害に対応し、何週間にもわたって救急隊員に対する精神的、実践的な援助を提供しました。彼らはまた、ハリケーン、洪水、地震、火災の現場で救出、救助活動の不可欠な一部となっています。

11ヵ国から500人以上のVMが2004年の津波後に東南アジア、インド、スリランカで救援活動に参加しました。彼らの仕事は、CNN、エコノミスト誌、ワシントン・ポスト紙、ウォール・ストリート・ジャーナルなどを含む国際的なメディアによって報告されています。

サイエントロジー・ボランティア・ミニスターの福祉活動は、政治家、警察、軍、その他の救援組織や市民当局によって認められています。2005年にハリケーン・カトリーナとリタに襲われたルイジアナ州知事は、「あなた方の教会から900人以上のボランティア・ミニスターが世界中から私の町に到着した時、本当にほっとしました。あなた方は大きな力となって物理的そして精神的に困っている人たちの助けになってくれました」と述べています。

サイエントロジー・ボランティア・ミニスターは、サイエントロジー教会災害対策(CSDR)チームとして組織化されます。それらのチームは、彼らの代名詞ともなっている特製の黄色いシャツを着て、最初の対策団体のすぐ後に現場に到着します。彼らは地元の緊急対策本部の責任者や警察関係者と打ち合わせて活動を調整し、すぐに必要な支援を提供します。例えば、混乱した状況に秩序をもたらし、食糧や水を供給し、配給地点に人を配置し、必要な作業を手伝うボランティアを派遣します。 できるだけ早い機会に、生存者、応答者、介護者に「アシスト」(人を助けるために行われる行為で、身体的な困難に直面し、現時点にある不快感、痛みやトラウマを軽減するもの)を与え始めます。

ハイチ地震の直後の週、サイエントロジー教会のボランティア・ミニスター隊が動員され、360人以上の救助と医療の専門家、およびボランティア・ミニスターがハイチへと安全に送り届けられました。食糧と医薬品の寄付が集められ、さまざまな物資が、国連との調整のもと、配布のためにハイチに持ち込まれました。十日以内に、ハイチでは百人以上のボランティア・ミニスターが活動をしていました。

災害がハイチを襲った後2週目の終わりまでに、彼らはポルトープランスの病院の安定した救援拠点としてマイアミ大学のテント病院を設立したほか、市内の多くの仮設病院を確立していました。ひとつのボランティア・ミニスター・チームはハイチ援助機関の再建を助け、これまでに約百人の孤児を預かり、里子に出しています。

他のボランティア・ミニスターたちは、軍や援助団体と連携して、食品や医療品をハイチの西部地域で配布する準備をしています。それ以来、サイエントロジー・ボランティア・ミニスターは、南ハイチのジャクメルを含め、ポルトープランス以外の難民キャンプへと組織的、物資的支援を拡大しています。

2010年2月以来、ハイチのボランティア・ミニスター・ユニットは、ハイチ各地に8つの本拠地を設置しています。ドミニカ共和国に別のキャンプが設置され、ハイチに送る食糧や物資の供給のための経路を確保しています。

一日を通じて、サイエントロジー・ボランティア・ミニスターは、負傷し、精神的な苦痛を抱えるハイチ人のケガや喪失に対処するために援助の手を差し伸べ、彼らに希望を与えています。サイエントロジー・ボランティア・ミニスターはまた、手術室で医療専門家を助け、赤ん坊を取り上げ、医療用品の支給と運搬を組織化し、患者に医療とケアを与えています。大きな地震の4ヵ月で、訓練を受けたボランティア・ミニスターは、国の物質的再建を助け、避難所の建設、上下水道システムの再構築、地元の人々へのトレーニングなどを行っています。